
街が秋色に染まっていく
落ち葉の香りがする。
街が秋色に染まっていく。
そろそろ冬が近くまで来ている気配に、何かしら準備しなくては・・・と心が騒ぐ。
冬に備えて何を準備すればいいのだっけ?
リスのように木の実をたくわえる?
扉に飾る赤い実のリースをつくる?
もこもこのセーターを新調する?
なにか忘れていることはない?と心が騒ぐ。
もどかしさの中で、早くなった日暮れのせいにしてみたりする。
冬まではまだもう少しあるので、秋を秋として楽しむのが冬支度の第一歩かも。


心理療法士としてカウンセリングに花を取り入れたストレスマネンジメントを実践する。 クライエントにこころあるがままに自由にアレンジしてもらううちに、使う花と・組合せがある心理状態の時に共通性を見出しアレンジメントを芸術療法として取り入れ心理療法を行う。
1986年
同志社大学卒業
1987年
カウンセラーとして活動開始
1989年
カウンセリングに花を導入
グループカウンセリング、個別カウンセリング等実施
1990年
「花の癒しの研究会」を発足し、花によるストレスマネジメント等の講演活動を開始する。
1995年
阪神大震災で実家が全壊。最愛の母をも失ってしまうが、 災害救援活動をしながら避難生活を体験する。
救援物資とともに花束を持ち込んだことで被災者たちの心の和みを実感した。
花の癒す力を痛感し、失意の中で小さな希望がささえとなり、フラワーハートセラピーを広く世に伝えることを決意。
1996年
「花の癒しの研究会」を「日本フラワーハートセラピスト協会」に発展させる。
2002年
「日本フラワーハートセラピスト協会」がNPO法人として認証される。

落ち葉の香りがする。
街が秋色に染まっていく。
そろそろ冬が近くまで来ている気配に、何かしら準備しなくては・・・と心が騒ぐ。
冬に備えて何を準備すればいいのだっけ?
リスのように木の実をたくわえる?
扉に飾る赤い実のリースをつくる?
もこもこのセーターを新調する?
なにか忘れていることはない?と心が騒ぐ。
もどかしさの中で、早くなった日暮れのせいにしてみたりする。
冬まではまだもう少しあるので、秋を秋として楽しむのが冬支度の第一歩かも。


コミュニケーションの機能の中には、情報の伝達・共有の機能がもちろんありますが、それだけではありませんよね。
安心できる相手か、信頼できる相手か、ウマが合う相手か、を見極めるための機能もあります。
次には、愛情を育んだり、心を伝え合ったりというような愛情表現のための機能もあります。
安心→愛情表現のあたりに必要なコミュニケーションのあり方を「グルーミング的コミュニケーション」と私は勝手に名付けています。
これはとても動物的なものですから、直接会って交換するのがいちばんでしょうね。
皆さんも、動物たちが群れの仲間同士、毛繕いしあっているのを見たことがありませんか?
ああすることで、愛情を確認したり、仲間だよっていうメッセージを伝えあっています。
かつてうちにいたウサギのみみまるくんは、頭や背中をなでてあげたりすると、私の手を同じようにぺろぺろしてくれました。(今頃、天国でくしゃみしてるかな。)
人間の場合は、微笑みだったり、挨拶だったり、握手やハグだったり、たわいのないおしゃべりだったりするわけですよね。
こういうのネット時代になって減っているような気がしませんか?
直接会いに行くより電話、電話よりメールって、だんだんグルーミング的コミュニケーションが少なくなっています。
コミュニティサイトなどでは、これってグルーミング的コミュニケーションの補完になっているのかなと見受けられるものもあります。
でも、人間は動物なので、きっとネットだけではグルーミングは不足しますよね。孤独になってしまいます。
悪評高かった上司との飲み会、社員旅行・・・これもグルーミング的だったと思います。
ネット時代にどうすればグルーミング的コミュニケーションがとれるのか、今はそこにとても関心があります。


新幹線の中で通路をはさんだ反対側の席にいた年配の女性から、「食べてちょうだい」とおみかんをもらいました。
ここはみかんではなく「おみかん」と言いたい気分。
見知らぬ者同士のこんなやりとりは、めっきりなくなりましたね。
昔は、ちょっとした長旅では、見知らぬ者同士も仲良くなってそれぞれお菓子をわけあったりしたような記憶があります。
子どもだった頃は、結構みなさんお菓子をくれました。そうだったそうだった。
今だと「知らない人からもらっちゃダメ」なんでしょうし、食物アレルギーの心配もあって、気軽にはあげられなくなってるっていうのもありますね。


雨が降ったり止んだりのお天気でしたが、ぶらーりと歩いてみました。
稲刈りの後が、のどかです。
奈良県の古墳群のあたり。
特に古墳巡りというわけではなく、なにか古い景色、懐かしい景色に出会ってみたくて歩きました。
路傍にコスモスが揺れていました。
歴史を感じさせる家。
人の命を重ねてつくりあげた歴史に興味がわいているこの頃。
かつてこの扉から出入りしたのはどんな人たちなんでしょう。
機嫌のいい人も、悪い人も、喜んだ人も、悲しんでいた人もいるでしょうね。
あちこちのお家の庭先には柿の木もいっぱい。実がたわわです。
秋の風景です。


フラワーハートセラピストであり、<グラスルーエ>セラピストでもある島川香苗さんが、いま発売中の美STORY12月号に掲載されています。
念願のサロンをオープンしてますます輝いている修了生さんを見ると、すっごく嬉しくなります。
←優雅な微笑みです。
←こんな表紙さがしてね。
サロンを開きたいけれど、私なんてムリと思わず、皆さんにチャレンジしてもらいたいです。
ふぁいと!


ちょこっと時間ができたので、ぶらーり散歩に出かけました。
特に目的もなく、おもしろそうな路地をくねくね曲がったりして。
そしたら、こんなレトロな建物発見!!!
写真が斜めなのはご愛敬ということで。
大正? 明治? 空襲でも焼け残ったということですよね。
今はどなたも住んでいない様子でしたが、当時としてはかなりハイカラだったのでしょうね。
次の写真は、モノ寂しげな昭和のイメージかな。
特に観光化されていない街角にひょんなレトロ風景を発見すると、わくわくしてしまいます。


誤解をまねきそうな文章なので、どうしようかと迷っていたのですが、やはり書くことにします。
頭痛、肩こり、胃の痛み・・・いろんな日々の不調について、なんでも「ストレス」のせいにして片付けてしまう風潮に危機感をもっています。
医師の中でも、うまく原因が探せない症状について、「ストレス」のせいにしてしまうことはあるやに聴きます。ましてや素人判断で、なんでもストレスのせいにして片付けていいものでしょうか。
ストレスのせいと思っていたら脳腫瘍だった、肩こりと思ったら心筋梗塞だった、神経性胃炎と思っていたのがピロリ菌のせいだった。
そんな事例は山ほどあります。
ちゃんと診断をあおいで治療をする。
もし、「ストレスが原因」となったならば、そのままストレスの被害者であり続けるか、対処するかの選択肢があると気づいて欲しいのです。
ストレス社会という言葉がありますが、いまだかつて「ストレスのなかった社会」というのはなかったと思うのです。
ITストレスはなくても、作物の出来が天候に左右された時代にはその時代なりの。
核家族の孤独はなくても、大家族のしがらみの中の濃厚なストレスが、あったはずなのです。
そんな長い歴史の中である程度の「ストレス耐性」がなければ、人間は生き延びることはできなかったでしょう。
ストレスの源から逃げるも一案。
ストレス耐性をあげて、迎え撃つも一案。
受け流すも一案。
不調の原因がストレスとなっても、その被害者であり続ける必要はありません。
ストレスの被害者であることが、格好いいことでもありません。
自分を幸せにするのは、自分の責任ですよって思うのですが、うまく伝わるでしょうか。


TOKKは阪急電鉄グループのフリーペーパーです。
そのドーンとまるごと1ページを使って、私たちの日本フラワーハートセラピスト協会の花育が紹介されました。
阪急電鉄グループでは、ゆめまちプロジェクトとして、地域貢献に力を入れています。
そのプロジェクトのひとつが、私たちとの花育活動のコラボレーションです。
阪急のスタッフの人たちが手伝ってくれたり、お花を提供してくれたりしています。
大きな企業がバックアップしてくださると、活動が広がりますので、大感謝です。


切り子の冷酒グラスの模様は、ひとつひとつ違っていて、手作りのぬくもり感にあふれていました。
大吟醸 菊姫というお酒を選んだのは、お店の方のお勧めだったから。
香りも味わいもふくよかだから、とってもよい気分になりました。
よいお酒を、よい器で、少々嗜む。
大人のお酒のつきあい方ですね。


窓を開けると、キンモクセイの香りが風にのって流れ込んできます。
景色の見えない夜の帳の中でも、そこに咲いているのがわかる花。
小さいのに、存在感のある花。
心の中に、オレンジの花びらがさらさらと降り積もる感じ。


昨日はフォーカシングの大家である池見陽先生(関西大学)にお会いしました。
5月のフォーカシング国際会議以来なので、久しぶりの再会でした。
フォーカシングの実演を見せて頂いたのですが、素晴らしかったです。
ジェンドリンに直接師事されたご経験、心理学に出会って30年という月日の中で磨かれた人間力。
こちらの肩の力をすっと抜かせてくれるような傾聴の姿勢に、ますます魅了されてしまいました。
いい日でした。


すごーく古くて由緒ありそうな山門。すごーく心惹かれました。
興味津々でくぐってみたら、なんと立派な観音さまが青空を背にすらりと立っていました。
存在感に圧倒されました。美しいです。
本当にふらりと立ち寄ったので、お寺の由緒もなにもわかりません。
そして、観音さまってなんだか聖母マリアさまに似た雰囲気があるなぁと素朴に思ったりしたのです。
どちらも母性的な優しさ、ぬくもりを感じさせる存在として、人の心を支えてきたのでしょう。


仙台での学会から早1週間。
学会準備のために、放り出していた仕事をやっていたら、あっという間に時間が流れていました。
さて、学会見聞の補足。
オープニングで劇団四季の浅利慶太氏のビデオが上映されました。
その中で浅利氏が「芸術と経済の両立」というようなことを言っていました。
「舞台では食べていけない」のがいやで、経済的にも成立する劇団をつくったそうです。
また、「舞台をつくる芸術家の自分」と「劇団四季を経営する自分」とは別人格だともおっしゃっていました。
なにかわかる気がします。
私が一本立ちするとき、セラピストなんかでは食べていけない、そんな風に否定的なことを言われました。
今、私はちゃんと食べていけているし、他にもセラピストで稼いでいる人たちがたくさんいます。
これで食べていくんだ!って決意をすることがとっても大切なんですよね。
その決意の真剣さによって、クライエントさんだって信頼してくれるのですから。
←六本木ヒルズのゴージャスなシャンデリア(おまけ)


あっという間の2日間でした。
10月3日(土)~4日(日)は仙台の東北福祉大学で日本芸術療法学会が開かれており、私も参加していました。
今は仙台空港で出発待ちです。
今回の大会テーマは「芸術療法に求められるもの・・・よみがえる生命力」。
自殺数の増加を私たち心理セラピストがどのように対応していくか、芸術療法が果たせる役割とは、ということがテーマになっているのです。
ズシンと重いテーマです。
私は、3日に「花の芸術療法~よみがえる子どもたちのの生命力~」と題して花育のケースを発表をしました。みなさん、興味津々で、うなずきながら聞いてくださいましたよ。
さて、今回の学会のオープニングはいつもと様子が違いました。大会委員長の増野肇先生が、趣向をこらして、歌あり、朗読あり、ダンスありのサプライズな仕掛けをされていたのです。
芸術療法の学会なのだから、言葉だけでなく情動に訴える趣向を・・・ということだったみたいです。
これはには度肝を抜かれた人も多かったみたいで、賛否両論。意見も活発に交わされて、それはそれでとてもおもしかったです。
大御所の増野先生の茶目っ気というか、本当にチャレンジグな姿勢には感銘をうけました。
だって、大御所なので無難にいつもの学会らしくやっていれば波風がたたないのに・・・、そんなものにはおかまいなしに新しいことに挑戦してしまう前向きさ。守りに入りがちな人が多い中ではすごいことだと思いませんか?
学問というのは過去の研究の積み重ねの上にあるわけですが、時にはそれをぶちこわすくらいの気概がないと前進しないと思うのです。
私が、日本芸術療法学会が居心地がいいのは、そういったことを実践してくださる諸先輩方がいるからかもしれません。


毎日晴れがよいなんて言っていたら、水不足、花も緑も作物も育たない。動物や虫たちも生きていけない。もちろん人間も。
今日は全国的に雨の様子。表参道にも降っています。
「雨の日は雨の日なりに生きていく。」
不遇の時代もそれなりに生きていこうという表現として使われますね。
不景気の先行きが見えない中で、土砂降り雨の中で翻弄されている方も多いことでしょう。
他にも、病気や怪我で動けなくなってやきもきしている方。
恋が思うように成就しない方・・・etc。
毎日、元気はつらつ明るく過ごしたいけれど、なかなかそうはいかないこともあります。
そんな時にムリに元気を出さなくても、いいんじゃないかなぁと思います。
雨の日の大変さがわかるから、雨にぬれている誰かのために傘をさしかけることができます。
雨にも負けない自分の強さに気づけたり、雨に途方に暮れる自分の人間らしさに気づいたり、誰かの優しさに気づいたり・・・。
雨の日は雨の日なりに過ごしていれば、雨宿りが上手になったりするかもしれません。
私の毎日だって、晴れたり曇ったり、雨だってあります。
雨の日は雨の日なりに・・・唱えると心が楽になりませんか?
私はこの言葉が大好きです。


昨日の田園風景の写真を送ってくれた方と昨夜は情報交換会をしました。
ふふふ、お食事会も兼ねて。
めずらしいキノコ(名前忘れた)やサンマなどをイタリア料理で食べると、和食とは違った味わいで新鮮でした。
そして、帰りに六本木ヒルズの53階の展望台に上ってきました。
実は麻布十番の部屋からたった徒歩8分のヒルズの展望台に上ったことがなかったのです。
というか、近いとわざわざな感じがして、行ってなかったんですね。
上の写真より、夜景はもっと明るく、キラキラしています。
夜を光で支配することができるなんて・・・
こんな風景の中にいると「私たち人間にできないことはい!」と思い上がった気分になってきます。
これは熱帯魚のアクアリウム。未来都市みたい。
金魚だってこんなライティングで泳いでいます。しかもレインボーに変化し続けている。
とてもきれいだけれど、たぶん魚たちには迷惑なライティングだと思います。
私が魚なら神経が病みそうです。
豪奢なつくりの六本木ヒルズは、ここかしこに驚きの仕掛けがいっぱい。
思い上がった人間のつくったピサの斜塔?
だから、ここに棲む人たちの中には、何かを勘違いしてしまって、騒動を起こしてしまう人がでてくるのかもしれません。
もちろん勘違いなんかせず、ちゃんとした人たちもいっぱいいるのだけれど、私なんかは弱くて負けてしまうかと不安です。
やはり地面に足をつけておきたいな。
自然の前では私たちは小さな力しかありません。
サモア、スマトラでの大地震。
こんなところで光に包まれて、街を睥睨している場合ではないのに・・・少し心がざわめいた夜でした。
