
東野圭吾作品の心理セラピスト的読み方
『パラドックス13』を一気に読みました。
東野圭吾作品は、すごくたくさんあり、ファンも多い。
映画化、ドラマ化されている作品もいっぱいだから、ファンではなくてもご存知の方もいらっしゃるでしょうね。
私は東野圭吾作品のほとんどを読んでいます。
私の主観で彼の小説を分類すると系統は大きく3つあります。
ガリレオが活躍する『容疑者Xの献身』に代表されるような<ミステリー系>。
『白夜行』『手紙』のような人間のどうしようもない性を描いた<人間ドラマ系>。
『時生』『虹を操る少年』のような<SF系>。
どのジャンルも私は大好きです。東野圭吾氏のすごいところは、どのジャンルであっても、切なくも愚かな人間たちの心理描写が卓越しているところなんです。
ある意味、登場人物が非現実的なのにとっても現実の人間っぽいのですよ。
心理セラピストとしての視線で読んでいくと、また、別の意味合いも読み取れてきます。
東野作品は問いかけはあっても答えがないものが多いから、読んでいて苦しくなる方もいるようです。(それって人生は自分で答えを見つけるしかないので、同じことなんですけれどね。)
小説にわかりやすさを求める人には消化不良になってしまうのかも。
『パラドックス13』はSF系にパニック映画の要素を足したような作品といえばいいでしょうか。
ネットでレビューとか感想とかを拾い読みしてみると、パニックものとしてしか読んでいない方たちもいて、それはもったいないでしょう・・・というのが私の感想です。
生の意味、死の意味、倫理観・・・などなど、SFの場面を使うことで、人間が生きる上での根源的な意味を問いかけているように感じました。
「生きていることが当たり前」、「これって常識でしょう」・・・って頭がかちこちになっている方は一度読まれてみて、いろんな角度から揺さぶりをかけられ見るとおもしろいですよ。








